2023年のベスト

      
2023年は、COVID-19がフツーの風邪になって、3年間制限されていた日常が正常に向けて動き出した一年だった。

コロナと闘った

2月にCOVID-19に感染した。ワクチンを5回も打たれていたのにも関わらず感染したし、同僚にもお裾分けしてしまった。感染後に家族に移さないようにホテル療養を選んだ。感染してはじめて国や県の施策で整備されたホテル療養のシステムはとても有り難いと感じた。
この3年間感染症のあおりで生活に困窮した人々のことや、亡くなった国民的コメディアンのことなどを思うとウイルスに対して憎しみを抱いていたが、実際に感染してみるとどうやっても抗えない運命なのだと感じるようになった。未知の感染症との闘いは人類の歴史でもある。大袈裟かもしれないが、ウイルスと闘って生き延びた以上、やりたいことができなくなった人達の分もたくましく生きていかなければならないと思っている。ウイルスとの闘いを経験して憎悪の気持ちはほとんど無くなったが、一つだけ恨みを述べるならアイツのせいで楽しみにしていたサッカーチームのホーム開幕戦に出陣できなかった(自粛した)ことだ。

音楽のこと

時代の流れか、今年は音楽を聴く媒体がサブスク/メディア(CD)の割合が体感で9:1ぐらいになった。

年末に発表される恒例のSpotifyベスト。今年はトップアーチスト、トップソングともNo1は上原ひろみだった。

Spotify 2023年のベスト

2月にBLUE GIANTというアニメ映画が公開された。ビッグコミックに2013年に掲載されたジャズに魅せられた青年宮本大の成長を描いた漫画が原作だが、これについては全く読んだことも無く知識も無かった。映画の告知をみると、上原ひろみが作品全体の音楽を担当し、サックスはJ-SQUADのメンバーでライブを観たこともある馬場智章さんが担当しているとあり、楽しみにして映画館で鑑賞することにした。

劇中でサックス奏者の主人公が結成するバンドJASSのピアノ、サックス、ドラムは上原ひろみ、馬場智章、石若駿のプロミュージシャンが演奏し、ハイクオリティだったし、バンドが目標に向かって挑戦するストーリーも楽しめた。この映画のサウンドトラックを良く聴いていたという一年だった。振り返ってみると、アニメ映画を楽しみにして映画館に向かったことは記憶にないし、今年観た映画の中では一番印象に残るものだった。

今年購入したCDは4枚だった。

  • PINEAPPLE / 斎藤和義
  • 24ナイツ(オーケストラ・ロック・ブルース)/ Eric Clapton
  • Hackney Diamonds / The Rolling Stones
  • Harlem Blues / Phineas Newborn Jr.

ベストをあげるなら18年ぶりに発表されたストーンズのHackney Diamonds。今更ストーンズ?と思うかもしれないが、一聴してミック・ジャガーのヴォーカルが80のジジイとは思えない艶があることに驚愕した。先行シングル『Angry』のPVも過去のライブシーンやアルバムジャケットが登場してストーンズ・フリークのツボをつく出来だったのでベストPVに選びたい。

クラプトン回顧録

年始にエリック・クラプトンが4年ぶりに来日するという情報を見た。1月には高橋幸宏さんやジェフ・ベックの訃報を聞いたばかりだし、年齢的にもこれが最後の来日になるかも知れないと感じた。何とか都合を合わせて出陣することにした。そしてこの機会にクラプトンの回顧録を残しておこうと思った。

高校生のころ、NHK-FM渋谷陽一さんがパーソナリティで放送していたお正月の特番でエリック・クラプトン特集をエアチェックして聴いた。この放送の一曲目は『いとしのレイラ』で、デュアン・オールマンの強烈なギターのイントロから始まり、印象的なアウトロに繋がる名曲に引き込まれた。そしてこの特集でクラプトンの代表曲を知ったのが原体験だった。それから、当時新潮文庫から出ていたロック名盤のディスクガイドでCreamを知り、若きクラプトンやブルース・ハープも名手のジャック・ブルース、ドラムのジンジャー・ベイカーが奏でるインプロヴィゼーションは刺激的で新しい音楽と邂逅した高揚感と鮮烈な記憶が残っている。

当時はインターネットがなかったので、ディスクガイドや、ライナーノーツで背景や関連するミュージシャンの知識を取り入れ守備備囲を拡げていったが、クラプトンのバックグラウンドにはブルースへの憧憬が色濃く存在しており、聞きこんでいくうちに自然にブルースという音楽に魅力を感じるようになっていた。

仕事に就く前に3度ライブを観に行った。押し入れから公演プログラムを引っ張り出して眺めながら振り返ってみる。

この年、ジョージ・ハリスンのサポートという形で来日した。演奏については、ビートルズのWhile my guitar gently weepsを演奏していたことぐらいしか記憶がない。ジョージ・ハリスンは10年後の2001年に癌のため58歳の若さでなくなった。’ビートルズ’を生で観たのは最初で最後だったという意味でも、2人の伝説的な日本公演を観に行けたことは幸せなことだった。

1990年代のミュージックシーンで流行し、クラプトンのアルバムも大ヒットしていた『Unplagged』の次の年のライブ。バックバンドのドラマーに敬愛するlittle featのメンバー、リッチー・ヘイワードが参加していたのを改めて発見して嬉しくなった。Unplaggedの翌年だから、アコースティックパートを多めに演奏し、『いとしのレイラ』もアコースティックにアレンジされており賛否両論だったことを記憶している。


この年の公演プログラムを見ると、クラプトンは短髪になって長渕剛みたいになっている。1994年にブルースに回帰したアルバム『フロム・ザ・クレイドル』を発表していたから、このアルバムからトラディショナル・ブルースナンバーを演奏していたようだ。シブすぎてライブの内容は全く記憶にない。


今年のライブ参戦は実に28年ぶりだった。なんでも今回の来日で100回目の記念公演となるようで、自分が参戦したのは初日となる97回目の公演だった。
この日のオープニングは聴いたことのないインストゥルメンタルだった。後でわかったことだが『Blue Rainbow』という、年始に亡くなったジェフ・ベックの追悼曲だった。4回目になるライブではさすがに新鮮さは感じなかったが、個人的にはブルースの古典『Key to the highway』やマディーウォーターズの『Hoochie Coochie Man』での熟練のギター・プレイがハイライトだった。

クラプトンが来日した春、サザンの桑田さんのFM番組『桑田佳祐やさしい夜遊び』で来日記念でクラプトン特集を放送していたのを聴いた。若い頃からクラプトンのファンで、初めて来日した1974年にステージを観に行った時の貴重な話をしていたが、この頃はアルコール依存から抜け出して間もない頃で、『ガラクタ人形みたいだった』と語っていた。嬉しかったのは、好きなアルバム『EC was here 』(1975)が桑田さんと共通していたことだ。70年代のライブ盤だがここで聴けるスロー・ブルースは名演だ。

6月には、1991年発表のライブ盤『24 nights』の増補完全版が発売された。1990年〜1991年にロイヤル・アルバートホールで行われた公演を収録したもので、クラプトンのキャリアの中でもハイライトといってよい演奏だ。リアルタイムでも熱心に聴いていたのだが、未発表音源やDVDもついているというレコード会社の戦略に負けて小遣いをはたいて購入した。この完全版は3つの演奏形態『ロック』『ブルース』『オーケストラ』に分けられているが、このうち『ブルース』にはバディ・ガイやロバート・クレイといったコテコテのブルースマンたちが参加してゴキゲンな演奏を聴かせており、これを流しながらこの原稿を作成している。

クラプトンの偉大な業績は、バディ・ガイ*1が語っているように、ブルースという音楽とその魅力を敷居を低くして広く世界のリスナーに伝えてきたことだろう。そしてその演奏が心に響くのは、彼自身、人妻に横恋慕して奪ったあげく破局に至ったり、麻薬やアルコール依存、息子を事故で失うなど苦悩や悲しみをありのまま表現している'ホンモノの'ブルースだからと感じている。70年代にジャニスやジミヘンみたいに事故死してもおかしくなかった彼が、生き延びて薬物・アルコール中毒患者に救いの手を差し伸べている姿勢*2に人としての温かさを感じるし、今井美樹のファンだとか、いきつけのとんかつやがあるとか、なんだかロックスターっぽくないところもいい。今年ライブに参戦できたことはベストな体験の一つだった。

1 バディ・ガイ
クラプトンやストーンズをはじめとして、イギリスのミュージシャンたちがブルースマンたちのキャリアをどれだけ後押ししてくれたか。そして素晴らしいのは、彼らがズカズカっとやってきて、『ブルースは俺たちが始めたんだ』なんて言わないところだ。彼らはいつも真実を語ってくれるんだ。

2 クラプトン
中毒患者の治療施設を始めた理由はシンプルだ。僕のように、かつて薬物やアルコールを飲んでいたものの、もう飲みたくないと思っている人達のためだ。僕のヒーロー達は選択権がなかった。リロイ・カーは酒で死んだ。ビッグ・メイシオも酒で死んだ。僕が救われたような援助があれば、彼等は今も生きていたかもしれない。

ドラゴンズの話

ひいきの野球チームの中日ドラゴンズはこの10年間低迷している。昨年再建をかけて満を持してミスタードラゴンズと呼ばれた立浪監督が就任した。これでダメなら誰が立て直すのか?という背水の陣にも関わらず、1年目はぶっちぎりの最下位に終わった。巻き返しを図った今年も、気持ちとは裏腹に次々と不名誉な記録を打ち立て、5位に浮上する絶好のチャンスもつかみ損ねて最下位に沈んだ。どうしようもない低迷ぶりだが、こんななかでも一筋の光が見えている。3月に行われたWorld Baseball Classicで最年少、若干二十歳ながら決勝戦でも見事なリリーフを魅せた高橋宏斗投手だ。

シーズン開幕後、気がついたら高橋宏斗の当番日を気にするようになり、その勝敗や内容をスマホにメモをしていた。そしてDAZNでほとんどの野球中継を見られることもありここ10年で間違いなくドラゴンズのことを気にかけていた1年だった。6月に名古屋に出張する機会があり、その週末の土曜日、ホームのバンテリンドームで日ハムとの交流戦が組まれていた。高橋宏斗の当番日にあたることを祈りつつ、何十年ぶり(高校生の時以来だろうか)に野球を観に行くことにした。

バンテリンドームは一塁側指定席を選んだ。さすがに5万人収容のドーム球場、昔のナゴヤ球場のイメージは一新され、その広さと華やかさに新鮮な感動があった。残念ながら高橋宏斗の当番日には当たらなかったが、試合は幸先良いスタートで、WBCでも代表に選ばれた日ハムの主戦の伊藤投手から3回ウラ終了までに3点を奪い、久しぶりの野球観戦での勝利が見えたようで浮かれ心になっていた。

だが、ここからが低迷するドラゴンズを象徴するような展開だった。6回に先発投手がランナー2人を背負うピンチを招き、次のバッターはあろうことか昨年までドラゴンズに在籍していたアリエル・マルティネスだった。監督はリリーフを送った。抑えてくれと願ったのもむなしく、アリエルはライト方向に鮮やかに古巣への恩返し逆転弾を放ったのだった・・。

負け癖のついたドラゴンズに反撃する力は残っておらず、あえなく久しぶりの野球観戦での勝利は夢に終わった。

プロスポーツチームには、長い歴史の中では必ず浮沈がある。亡くなった星野仙一さんが指揮した熱血ドラゴンズや、落合監督が築いた8年間でリーグ優勝4回、日本一1回という黄金期も観てきた。良いときばかり応援することはフェアでは無い。来年は立浪カントク最後の契約年になる。このまま史上最低の監督という汚名を被ったまま終わるのか、辰年に奇跡の反撃を見せるのか。どんな結果が待っていても目をそらさず見届けよう。今年、沼底を這いずりまわるありのままのドラゴンズを体感できて良かった。いつの日か再び優勝することがあれば、今年の姿を思い浮かべてあんな時もあったな、と思いたい。そして高橋宏斗という希望の星が現れたことは、とてつもない幸運だ。我が目が節穴でなければ間違いなくメジャーでも活躍できる器だが、その右腕でまずは低迷するチームを浮上させて欲しい。そしてこれからのささやかな夢は、高橋宏斗の登板する試合を生で観戦することだ。

街のサッカーチームのこと

クラブ存続の危機を乗り越え、昨年天皇杯でクラブチームのてっぺんに立った街のサッカーチーム(ヴァンフォーレ甲府)は、アジアのトップクラブが集うACL(アジア・チャンピオンズ・リーグ)の出場権を得て、2部リーグの地方クラブとしては異例ともいえる世界のピッチへ進撃する年となった。現地で観戦して、鮮やかな記憶として残った試合を振り返ってこの歴史的な一年を回想したい。

  • 7月12日 第103回天皇杯 VS鹿島 小瀬

3回戦の相手は昨年準決勝で撃破したJリーグの雄、鹿島アントラーズだった。平日の夜だったが昨年の鮮やかな記憶と、再び王者に挑戦できる喜びを胸に同僚とバックスタンドで観戦した。試合はなかなかスタメンに絡めなかった野澤陸の鮮やかなボレーシュートで先制するも、アントラーズが意地を見せて同点に追いつき、延長でも決着がつかずPK戦にもつれ込んだ。このPK戦が記憶に残る激闘だった。2週目のジェトゥリオが決めて11-10で勝利した時には夜の10時を回っていた。感動したのは、二年続けて王者を撃破したこともさることながら、リーグ戦では出番の少ない野澤や、GK渋谷の活躍で勝利をもぎ取ったことだ。ACLで世界と闘うためには、控え選手のモチベーションや試合経験が重要だと思ったし、実際渋谷はこの日のPKストップでサポーターの心をつかんで、後半の活躍にも繋がった。


この試合でもう一つ印象に残ったのはキャプテン・須貝の奮闘だった。途中出場だったが、延長に入っても鋭いインターセプトから試合終了寸前まで勝利を目指して攻撃する姿勢を見せていたし、PK戦では先陣を切ってキッカーを務め、二回のPKをきっちり決めてチームを鼓舞していた。この姿を観て、後半戦への期待が大きくふくらんでいた。だが、すぐにやってきた7月22日のリーグ戦でキャプテン須貝の名前は無かった。アントラーズからのオファーがあり移籍が水面下で動いていたのだった。今思えば、鹿島戦での須貝君の奮闘ぶりはキャプテンとしての闘う姿勢をみせていたのと同時に、オファーを出してくれた鹿島の首脳陣へのアピールもあったのだろう。

予算の限られたちっぽけな街のサッカーチームでは、条件の良いオファーで選手が移籍していくことは日常茶飯事であり覚悟はできているつもりだったが、地元で育ちJ1昇格に向けて主力としてチームを引っ張る現役キャプテンを力技で引き抜かれてしまう現実にさすがに無情を感じた。2年続けて王者を撃破し、浮かれていたが10倍返しにされたのだった。この移籍で平常でいられるほどチームもタフではなかった。8月には下位チームにも勝てず、悪い方に潮目が変わったのが目に見えてわかった。一緒にACLを戦いたかったし、今考えても残念な移籍ではあったが、限られたフットボール人生、須貝君には茨城県にとどまらず日本代表や世界を目指して挑戦し続けて欲しい。そして世界で活躍した後は、ひょっこり戻ってきてオミのように長く活躍してくれることを願っている。

ACL予選リーグは平日の夜に甲府から遠く離れた国立競技場で組まれていた。フツーに仕事をしていれば現地参戦は無理な条件だったが、小さな奇跡が訪れた。今年の8月から月に2回、神奈川県に出張の仕事が入るようになり、その日程が2日間ホーム開催の日だったのだ。神様に感謝しかない。新築された国立競技場は広くて素晴らしい眺めだったし、Jリーグの他サポが日本代表として戦うチームの応援に駆けつけてくれたのは前代未聞の風景だった。平日の夜に集まった10000人を超えるサポーターの期待に応えたチームは歴史的なACL初勝利を挙げた。10番を背負った長谷川選手の決勝ゴールも素晴らしかったが、夏に戻ってきて甲府に三度力を貸してくれているクリスチアーノのアシストも本当に嬉しかった。

余談ながら、試合開始前に入り口付近で待機していると、NHKのカメラが2人組の女性にインタビューを始める場面に出くわした。カメラの角度的に映像に入ってしまうと判断した僕は、顔バレしないようとっさに後ろを向き続けた。はたして、試合後に#金曜やまなしで放送された「ヴァンフォーレが世界とつながる日」でそのインタビューが放送され、図らずもサブキャストとしてNHKデビューしてしまったことも良い思い出だ。(探さないで下さい。)

- 11月29日ACL MD5 国立競技場 VSメルボルン・シティ

勝てば互いに一位突破を手繰り寄せる大一番、激闘だった。開始5分での失点も、三浦君や井上詩音の活躍ですぐに追いつき、鳥海芳樹ならではのゴールで逆転した。後半開始直後にPK献上や鋭いカウンターであっという間に逆転され敗戦濃厚の空気のなか、またもクリスチアーノのアシストと純真のヘディング(公式戦初めてではないか?)で追いついた。執筆時点でリーグ突破を決めてはいるが、今思えばここで負けていればこの最終結果はなかっただろう。殊勲のクリス、純真の活躍と篠田監督の采配に拍手を送りたい。国立からの帰り、甲府サポーターで埋め尽くされた新宿駅のホームや中央線特急の前代未聞の風景もまた鮮やかな記憶として残るだろう。国立への2試合の参戦は心から楽しく、今年のいや最近10年間のなかでもベストの体験だった。


12月12日、ちっぽけな街のサッカーチームは遠く離れたタイの地でACLアウェイ初勝利を挙げ、二部リーグのチームで初めて決勝トーナメントに進むという歴史的快挙を成し遂げた。この記事をとてもハッピーな気持ちで執筆している。今年1年良いことばかりではなかったし、J1昇格プレーオフにも紙一重でたどりつけなかったが、サポーターにも新鮮な経験を届けてくれ、最後までドキドキさせてくれたチームに感謝している。

2023年のサヨナラ

1月 ジェフ・ベック

昨年のベストで彼の新譜を取り上げたばかりだった、残念だがまた1人ロックスターが伝説となった。2015年に、ヨコハマで開催されたBlue Note Jazz Festivalでこの稀代のギタリストの演奏を生で観ることができた。「なぜJazz Festivalにジェフ・ベックが?」というツッコミは永遠に心に残しておこう。

3月 坂本龍一さん
世間を席巻したYMOの音楽は幼少期無意識に聴いていたし、『ラストエンペラー』でのアカデミー賞受賞の快挙も記憶に残るが、個人的に最も記憶が鮮やかなのは1999年発表の『BTTB』『ウラBTTB』。この頃、映画『鉄道員』のテーマ曲を繰り返し聴いていた。

11月 伊集院 静さん
2020年の1月に脳卒中を発症して、日経新聞で連載していた夏目漱石の物語『ミチクサ先生』が休筆になったが、無事に生還されて物語が完結したのを喜んでいたばかりだった。急な訃報に驚いた。正岡子規を描いた『ノボさん』、サントリーを立ち上げた鳥井信次郎の生き様を描いた『琥珀の夢』も良かった。新しい作品が出ないのはさみしくなるが、個人的に好きな作品『なぎさホテル』『いねむり先生』はいつか時間ができたら読み返したい。

おわりに

今年も生き延びてAdvent calender 2023に参加することができました。僕自身、依頼した原稿をとりまとめる仕事も経験しておりその煩雑さを実感していますが、毎年この素敵なイベントを継続している@taizooさんには今年も敬意を表したいと思います。最後までこの拙い記事に目を通してくれた皆様にも感謝。2024年も皆様にとって幸多き年となりますように。

・この記事は、2023Advent Calendar 2023の第25日目の記事として書かれました。

・前日はShinoさん、次はたぶん来年のAdvent Calender 2024(開催未定)です。

*1:*

*2:**